に、昭和18年度の近畿割当会議が奈良県庁で、あり、その席上強いお叱りを受け割当完納を強要された。其の結果村田専務の英断によって和歌山県枕木生産組合(組合長 中島半次郎)を設立し、枕木の生産に努力した結果年度末には見事供出を完了す。
 此の他樽丸用材は杉の良材を用い、主として兵庫県灘の酒樽用とした。生産工程は手割作業にて特殊な技術を要したるために新宮市、和歌山市の特定業者を指定し、新宮、橋本地区に於て主に生産供出す。電柱と枕木用材も農林省の割当てに基ずき、新宮地区の業者が主に生産し、実需者(配電会社、鉱山)等に供出す。
 以上の如く一般用材の生産供出は地木社が主体となってこれを行ない、特殊用材は特定業者が行ったが、地木社設立後戦局は愈々重大となり、戦場に召集される者が相次いで増加、ために山間部に於ては、労務者が益々不足し伐採や出材がおくれ工場に於ては割当生産の実績が上がらず軍用材の供出は愈々低下するに至った。特にガソリンの代用燃料である木炭が不足して、自動車の燃料に薪炭が使用されるに至ってからは、搬出のための輸送力が極度に低下し生産力は益々減退するに至った。
 斯様の現状にかんがみ、戦局も末期に近ずいた昭和19年7月18日物資統制令に基ずき農林省令第66号をもって従来の用材配給統制規則に変り木材配給統制規則を発令し、木材統制運営の総てが、同規則による事に改められ統制は従来より一段と強化された。
 海岸防衛作戦の用材を確保するために、兵力を動員して立木を伐採し又軍が直接製材を行った