のために作業ははかどらず責任者の私は唯イライラするばかりであった。然しそのうち兵隊も作業に馴れて順調に進行し割当目標を一応達成する事ができた。
 当時箕島支店の供出成績は県下各支店の中でも最下位であったが兵員投入のお蔭で其の年の暮には成績優秀として木島社長より表彰を受け箕島支店の面目を一新したが食糧難でイモの代用食で兵隊とともに苦労をした事が今も忘れられない。
 左記は当時の作業日課である。
 日課表
起床―5時30分点呼
朝食―6時体操
作業開始―7時
休憩―9時(15分)
昼食―12時
作業―13時
休憩―14時45分―(15分間)
終業―17時
夕食―18時
班内教務―19時
点呼就寝―20時

 こぼれ話

 化もの製品の登場
 大東亜戦争中の物価統制令は木材には特に厳しかった。木材公定価格の中には素材価格と製材価格とがある。此の価格のアンバランスも又ひどかった。
 昭和17年戦争がたけなわとなるにつれて軍需用材の供出も又急速に増大した。此の頃化“バケもの製品”と呼ぶ製材品が大阪や神戸方面に多量