に出廻った。これは軍需用材に不適格材としての製品を再製材して民需に廻したものであったが、例えば長さ6米(20尺)末口25センチ(9寸)の丸太で30センチ角(尺角)を製材したものであった。公定価格の格差は長尺材ほど不均衛であったためで吉野材は特に多かった様である。
此の化もの製品が全国各地に拡がって軍需材の供出に大きな影響を与えたものであった。
戦災回顧録
当時、和歌山県地方木材株式会社
素材課長 長谷林平
明治、大正、昭和にわたる和歌山木材史の編さんに当って、その全市の殆んどを灰燼に帰し、未層有の惨禍をもたらした昭和20年7月9日夜に於けるアメリカB29爆撃機の和歌山市大空襲の凄惨苛烈な状景と業界の受けた懐滅的打撃を、今ここに想起して記録にとゞめる事も強ち意義のないことではなかろう。
当時、和歌山県地方木材株式会社(地木社)は和歌山市本町2丁目の丸正百貨店の3階にあり、その和歌山支店は杉の馬場にあった。又私は南材木町に住んでいた。
太平洋戦争中の和歌山市空襲は昭和20年1月9日東和歌山地区にB29一機が来襲、250キロ爆弾10ヶを投下し死者2人負傷者8人を出したのを皮切りに7月9日の大空襲をも含めて都合10数回に及んだ。
7月6日夜には海草郡下津の石油工場地帯に爆撃があり、終夜にわたりドカンドカンと地響きを立てゝ石油タンクが爆発し火災が天に沖してさながら噴火山のように夜空を焦がす光景が和歌山市か