らも手に取るように眺められ、和歌山市の空襲も間近かに迫る予感に市民はおのゝき震えたのであるが、7日も無事、8日も事なくすんだ。そして運命の日、9日を迎えたのである。
 その日は快晴であった。夜の10時30分に紀州沖海面の空襲警報があり、続いて11時過ぎラジオが約250機が5群に分れて紀伊水道を北上し淡路上空で旋回の後、一部は南東方面に向かったと伝えたが、その時既に市の上空に無気味な爆音が聞こえ、まもなく河西川口方面に投弾が開始され最初の火の手が上った。続いて楠見地区、紀ノ川駅辺がパッパッと燃え上り、何分も立たぬうちに、和歌山市駅、中の島、湊、県庁附近、市役所、番丁附近、内町、宇須と殆んど全市に焼夷弾がばらまかれて燃え上がった。
 全市民は日頃の訓練に従って最初のうちは無我夢中で消火に努めたが、雨のように降り注ぐ焼夷弾と延焼する猛火に最早施す術もなく数十分も経たぬ中に、もう生命の安全だけを求めて逃げ出すよりほかなくなった。その頃既に全市は火の海である。ゴウッと燃え盛る火炎の音、地響きを立てて燃え落ちる建物、ザァザァと間断なく降り注ぐ焼夷弾、肉身を呼び合って逃げまどう市民の群、幾ばくもなく全市はさながら焦熱地獄と化した。中でも凄烈を極めたのは旧県庁跡附近である。四方から迫る大火が旋風を起こし白熱の渦巻と化し、石が飛ぶ、人が飛ぶ、焼材が2、30米も虚空に舞い上る、自動車さえも吹き飛ばされて堀へ落ちる猛烈さである。かくて執拗に繰り返す波状爆撃は延々3時間半に及び全市に徹底的な大惨禍をもたらして10日2時30分頃、漸く空襲はやみ、3時30分空襲警報は解除されたのである。