その(三)
 12日夕方になると焼跡に帰って来る人も次第にふえたが、あちこちの酒蔵に大火で燗ざましとなった酒が多量にあるのを聞き伝えて空瓶や、やかんをさげて我れ勝ちに殺到する光景が見られたが虚脱化した罹災者に思わぬふるまいとなった。
 その(四)
 空襲の夜和歌山警察署には40名程の留置者がいたが、危険となったので48時間後に帰って来いといって一時釈放したが約束の通り48時間後に帰って来たのは1人であったそうだ。尤も遅れて帰って来た者が10人あったらしい。
(昭和45、11、25記)