地木社の情態
此の頃地木社の業務は事実上停止の情態にあった。それは敗戦の虚脱から山村民の勤労意欲が減退し、搬出や輸送力が弱体化すると共に、地木社の生産確保の強い背景であった強制伐採の制度はやがて廃止されるだろうとの予想などからして、立木売渡しに応ずる林業家が殆んどなくなった為めであった。この事が一層地木社の木材生産をはばみ同社の機能を低下さしめた。
然るに一方戦災都市復興のための応急木材の供給は焦眉の急となり、政府に於ては、これらの流通配給には当分日木社及び地木社を存続し、これら両社の機能を更に強化して戦災復興に要する緊急需要の生産と配給の迅速を期せんとする意向であった。
そこで政府は農林次官電報をもって、都道府県長官あて左の通り通達を発した。
「陸、海、航空、軍需、一般用材、および兵器用材の配給を停止し、これを応急仮設住宅用材、運輸通信用材、復興資材ならびに緊急民需に振り向けるとともに、生産地はこれより生じたる残材を、極力需要地向けに移動せられたし」との内容の通達であった。このことは、敗戦にともなう当然の措置ではあったが、すでに受授していた前渡金の処理と、これに関連した末渡材処理の問題等実行に際しては、いろいろと煩雑な事項が起こり、農林省の指示による民需への切換は仲々困難であった。当時本県の残存せる素材石数は50万石、内和歌山市は8万石であった。
戦災都市のうち、緊急復興用材を最も大量に必要としたのは第1東京都であったが、終戦の年の9月末に於ける東京都の木材在荷量は、都木社の