5千石と日木社の軍用材の備蓄僅ずか40,000石に過ぎなかった。かかる情態の下に終戦の年の厳冬を迎えて、戦災応急住宅問題はついに社会問題化するおそれが生じた。
そこで政府は昭和21年6月16日、更に農林省次官、厚生次官の両官による連名通牒で「罹災都市応急簡易住宅建設用木材の供出対策に関する件」で次の通りその励行を指令した。
(1)製材工場の運転、時間24時間制による能力の増進
(2)復員労務者の積極的受入れによる労働力の強化拡充
(3)大都市向出荷計画の繰り上げ実施と生産地帯需要の一時抑制
(4)応急住宅用材例外価格(1割増)許可の地方庁移譲、および12月末日までの出荷量に応ずる主要食糧の特配
(5)電文連絡による出荷報告の厳守
以上の様に強力な措置が講ぜられたが、敗戦という客観的状勢の一大転換により地木社の威令は従前の様に行なわれず、闇取引が横行して、全国的に地木社の権威と実行力は愈々弱体化し、通達の趣旨達成は不可能であった。当時本県の地木社社長は木村平右衛門氏で、事務所は和歌山市九番町にあった。地木社の弱体とともに木材の生産は全国的に生産が著るしく低下し、一方流通機構は混乱するに至り、ために大口需要者は政治力に頼り、産地の地木社から直接買取るいわゆる紐付き取引が横行するに至った。
そこで農林省は昭和21年11月26日更に木材配給統制規則の改正を発表した。そのなかで、「地方木材株式会社は本令施工の際、現にそ