ついにドッジ・ラインのディスインフレ政策が強行されるに至り忽ち中小企業の倒産が相次いで発生した。
然かし木材界は一般中小企業の様に深刻ではんかった。 
それは戦後の膨大な復興需要に支へられていたためである。然かし価格は一時伸び悩んだ。
当時の池田蔵相は国会に於て<中小企業の倒産も止むを得ない>との暴言で不信任騒動を起こしたのも此の頃である。

 朝鮮動乱の勃発と特需

 ところが、こうした不況を救ふが如く昭和25年6月25日ついに朝鮮動乱が勃発。
日本経済は米国の緊急物資計画に編入され、特需生産が開始された。此の朝鮮動乱は吾が国の経済にカンフル注射の役を果たし、再びインフレ的傾向をもたらし、昭和28年まで好況が続いた。
当時の日本の輸出額のうち、特需関係は30%前後を占め、特に此の影響は木材業界に大きく、本市の業界も特需の下請で一時大いに活況を見るに至った。
朝鮮動乱が発生した当初の吾が国の鉱工業の生産は、初めて戦前の水準を突発し、更に大規模な設備投資が盛んに行なわれるに至り、一般業界も又好転す。
こうした一連の生産拡大の中に於て、国内需要も、急速に上昇、木材業界では内地材のみでは、其の需要に應じきれずにここに於いて外材輸入の気運が漸く台頭するに至った。
朝鮮動乱は昭和28年6月8日休戦が成立し、特需もストップした。