である。
続いて米材、ソレン材の輸入が初まった。
米材、ソレン材の輸入は南洋材の輸入とは異って、戦後の復興に大量の国内需要を必要とし、杉、檜の国産材の補充として輸入され初めたものである。戦前の外材は主に京浜、名古屋、清水、大阪の4大外材港、即ち大都市を中心とする輸入であったが、戦後は昭和34年9月の伊勢湾台風、続いて翌35年5月のチリー津波等による流失材による人命の被害などから貯木施設や港湾整備問題がやかましく叫ばれるに至り、ここに於て運輸省は港湾整備5ヶ年計画を樹立、更らに昭和36年木材価格が暴騰するや閣議に於て木材価格安定緊急対策が審議され、其の結果外材輸入が促進せられ、其の後輸入量は急速に増加を見るに至った。斯様に戦前と戦后外材輸入は其の趣きを異にしている。
以下は戦後に於ける外材輸入の推移並びに本市の外材輸入の状況である。
(1)ソ連材の輸入
外材の中で本市に最も早く輸入したのはソ連材で終戦後10年を経過した昭和30年8月である。戦前に於ける当市はカラフト材沿海州を主とする北洋材の5大市場と歌はれ、製函業はもとより、一般製材の発展をもたらした。又一方全国的にも、北洋材は吾が国の木材需給上に多大の便益をもたらした。斯様な関係から戦前に於けるカラフト材沿海州材などの北洋材に体験の深い業者はソ連材に対し郷愁ともいうべき強い愛着の念をもってその輸入再現を待望していた。
然しながらこのソ連材の輸入は米材、南洋材に比べはるかに遅れた。この事は言ふまでもなく当時