吾が国はアメリカの支配下にあり政府は共産圏ソ連との貿易再開に積極性を持つことが出来ず、日ソ貿易交渉がおくれた為であるが、輸入材のうちソ連材の輸入ほど難航したものは他に類例を見ない。依って本市ソ連材輸入の詳細にふれるにあたり、先ずソ連材輸入再開までの経過についてその概要をのべておく事とす。
ソ連材輸入再開の推移
昭和27年1月1日時のソ連国首相スターリンは吾が国にとっては異例ともいうべき年頭メッセージを共同通信社を通じ日本国民によせてきた。その中においてソ連は早期に対日貿易を再開する用意のあることを表明した。
且つその具体的な意志表示は1月10日北村徳太郎氏他9名にたいし同年4月3日からモスクワで開催される国際経済会議への招待状が届けられて、ついに現実化するに至った。
此の経済会議の目的は、言ふまでもなく共産圏と非共産圏との間の通商上の障害を除去せんとするものであったが、一面ではソ連の対日平和条約締結の足掛り工作であるとの憶測も行はれていたために、時の吉田内閣は、この会議参加について結論を得ず旅券交付についても難色を示す状態であった。
しかるところ同年4月5日のタス通信は「参議院議員高良とみ氏が国際経済会議に出席した」というニュースが伝へられると共にその会議に於てソ連ネストロフ代表は<日本から生糸、繊維品、船舶を買付けその代りとして、石炭、木材、パルプを輸出したい>と発表して交換協定の締結を要望した。ここに於て輸入商社を中心とする政治的経済活動が漸く活発となった。