業者はソ連材の入港近しと受入れ態勢確立に懸命であった。
一方木材業界とは別に、日ソ貿易に先鞭をつけんとする商社、安宅産業、三井木材工業、大倉商事、永和商事、飯野産業の5社は共同歩調をもって輸入、販売を整備するため、昭和28年12月15日<北洋材協会>を結成した。
更に森林資源総合対策協議会では、ソ連材の2大重要部門である木材業界とパルプ業界の数量、価格面での調整を図るべきだとの立場から両業界に呼びかけると共に通産省、林野庁と協議を重ねるなどその動きが益々活発になるに至った。
これと同時に日ソ貿易再開は、広く一般社会経済界の関心を高めるに至り政治的にも進展其の中に於て木材輸入は急速にクローズ・アップされるに至った。
このような状勢の中で事態は更に具体化し、昭和29年2月大倉商事を通じて、日立造船が総計11隻の船舶修理と木材バーター輸入する契約が成立したと伝へられるに及んで関係業界は緊張した。
一方これに呼応して荷受者の立場にある木材業界の動きも愈々活発となり、同年2月23日東京日比谷の日活会館に東京、横浜、静岡、名古屋、新潟、京都、兵庫、青森、山形、秋田、福島、石川、北海道の13の都道府県の代表が集合して<全日本北洋材荷受協議会>を結成して受け入れ体制を整へると共に、外務、通産両大臣並び林野庁長官等にたいし、輸入促進に関する陳情書を提出し、爾後木材業界独自の立場からソ連材輸入促進のための積極的な活動を続けた。
その後業界代表や関係者が訪ソし種々な努力を重