ねた結果、日ソ貿易の内容特にバーター物資の物品が判明した。此の間東京におけるソ連代表部との話し合いも進捗していた。
通産省もこの様な情勢に対し同年6月9日、永和、進展、東邦、相互、大倉の5社を招き、日本側の輸入量として昭和29年、30年の2ヶ年間分として木材800,000立法メートルを始めとする物資別数量を内示し、6月10日には日本側の輸出、新造船、船舶修理、漁船、曳船。病院船の修理新造、又輸入品として木材、石炭、石油、マンガン、クローム、綿花、プラチナのバーター貿易交渉に仮調印するに至った。
各貿易商社は引き続いてソ連代表部との間に数量の取り決めを行ない、7月9日までに木材について大倉商事、東邦物産、相互貿易は各150,000立法メートル、進展実業200,000立法メートル、永和商事100,000立法メートルとそれぞれ仮調印をした。
かくして昭和27年4月以降、2年2ヶ月の長い日月と努力の結果、漸く仮調印が成立し、続いて6月21日関係5社は本契約のため来日する代表3名の入国許可申請を提出し、ソ連代表団の来日を待ち構へる態勢となった。
此の間にあって再編成された全木連北洋材委員会は木材業界独自の立場から輸入対策の検討に努め、年間1,800,000石の希望荷受数量と価格は内地材価格のバランスから京浜港基準石当り1,500円の価格を内呈していた。
かかる中に愈々ソ連代表団来日の日が近づき戦後9年目の終戦記念日に当たる昭和29年8月15日ソ連代表団一行3氏はパン・アメリカン機で羽田空港に到着し、翌8月16日東京の三井クラブで代表団歓迎レセプションを開催した。