連材の第1船第2東洋丸はラザレフ港より清水港に入港した。これが戦後最初のソ連材の輸入であるが、ソ連材輸入交渉開始後実に2年有余の長い年月にわたる難交渉の結果漸く実現を見るに至った。
かくの如くソ連材の輸入再開には多年の日月と数々の難航をきわめたが、米材の大量輸入まで吾が国の木材需給に多大の便益をもたらした。
和歌山市とソ連材の輸入
昭和30年8月末ソ連材(エド、トド松)12,600石を積んで清河丸は和歌山港に入港した。これが戦後に於けるソ連材輸入の初まりである。戦前の北洋材移入途絶後実に20年の久しきにわたる再会と言へる。此の輸入は戦前の北洋材移入の●矢、㈱大重商店(故中西進重郎氏)が進展実業を通じ輸入したもので、荷受主は山本進重郎商

毎日新聞
昭和32年12月17日毎日新聞和歌山版


店、続いて昭和32年12月15日、ソ連船エミリアン・プガチョフ号(船長シェジニーノフピ