タリ)がソ連材14,000石を積んで和歌山港に入港す。
同船は同年11月30日沿海州ワニノ軍港を出航し途中清水港で約3,000石を荷卸し本市に入港したもので戦後外国船による木材輸入第1船である。荷受主は中長商店、和歌山製材、清水林材等であった。
当時国交は回復したとは言へ、かつての仇敵ソ連からの初航海とあって、和歌山港周辺は異様なふん囲気に包まれ特に右翼の行動が警戒された。
 レセプション開催
 此の荷役は18日午後まで続き作業終了と同時に大阪へ向け出航したが、滞船中の16日午後より日ソ協会和歌山準備会の関係者や県地評事務局等の諸氏が同船を訪ずれ、同夜は和歌山市紀之国荘で地評労組員らが船員代表を招いて歓待した。
続いて翌17日午後3時より、和歌山県、和歌山市、和歌山商工会議所の共催で乗組員42名(内婦人3名)の歓迎レセプションを商工会議所に於て開催。
尚レセプションの席上16年間の長い間同船の船長を勤めていたシエジニーノフ・ピタリ船長は和歌山市の印象について次の様に語った。
<日本は良港が多く、暖かいので作業がはかどるが、和歌山港は港が浅いのが欠点だ、和歌山港の附近に煙突がたくさん見えるので活気のある町のように思ふが、まだ上陸していないので分からない。
 然し本船を訪ねてくれる和歌山の皆さんは好奇心もあるだろうが、種々愛情のこもった歓迎の言葉を戴き感謝している。特産の密柑の味は噂さ通りおいしいですネ…>と流暢な日本語で話