大と設備投資の増加によって、景気は年々上昇すると共に、国産材価格は異状な暴騰を見るに至った。
(2)和歌山への輸入
 此の頃より米材輸入の気運が全国的に盛んとなり、昭和33年4月18日三菱海運のオリピア丸がアラスカ・スプルース約10,000石を積んで和歌山港に入港した。これが戦後に於ける本市への米材本船輸入の初まりである。輸入商社は安宅産業株式会社と三菱商事株式会社の両社にして、荷受主は山本進重郎商店並び石井堅蔵商店。ソ連材についで米材の初輸入とあって船内で盛大なレセップションを開催す。当時の本船荷役は、いずれも港外荷役で、港内荷役の開始は昭和38年1月以降で、主な荷役業者は船内荷役は浅川組、船外は新栄組、検数業は島本海運が行うところとなる。当社の輸入材は主に米栂丸太で産地は北はアラスカ州の東南部から南はカナダのブリテッシュ、コロンビア州(バンクーバー島を含む)ワシントン州、オレゴン州を経てカリフォルニア州の南部に至る地域と東はアイダホ、モンタナ、ネバタの太平洋岸に亘る広大な地域である。
当時、本市への主なる輸入商社は三菱、安宅のほか、丸紅飯田、岩井、三井、日綿、伊藤忠、伴野、日綿、東綿、住林、山パル、兼松などがある。一方荷受主には、石井、山本、中長、太田、宮本、清水、和歌山製材、紀州林業、大洋、和歌山木材その他があり、輸入量の最高は安宅、次ぎは丸紅、続いて三菱、三井、岩井がその後を追い、丸紅と岩井は本市を最大の市場として両社は常に、競争