度と繰返えさないようにするためには、是非貯木場が必要であることを深く認識し、本職の港湾づくりの傍、和歌山市の木材の流通状況、製材の素材需要量等より、貯木場を設置する位置港湾との関係、輸入量と貯木場の広さ、深さ等を深く研究され、業者を凌ぐ知識を体得して南港貯木場造成のため非常に努力され、和歌山木材、製材業界に大きく貢献され、業界に多大な功労を将来に残した1人であることを、深く銘記すべきであると同時に又昭和29年和歌山木協専務理事に就任して以来外材輸入と本市木材産業の将来の発展のために、つねに貯木場の必要性を痛感、業界の陣頭に立って、貯木場設置促進運動に駒を走らせ、且つ貯木場設置が決定を見るにおよび、木協本来の業務のほか、当時木材整理協会、植物防疫、その他10指にあまる各種団体の多種多様にわたる業務多忙の中、貯木場の設計や関係機関との接渉等々あらゆる面に於て尽力された山口平内専務理事の労を多とすると共に特に工事施工なかばに於て、製材工場用地を工場の操業を有効且つ適切ならしめるため、全国に類例を見ない理想的な櫛型に変更した同氏の英知と勇断を併せここに特記し擱筆す。

地図

地図分割