斯様にして集材活動の結果、流失総数凡そ190,000石のうち約半数足らずの90,000石余りが廻集されるや、9月25日和歌山木友会の出動を求め、集材の認定業務を開始、流失者の判明する材はそれぞれ所有者に引渡す業務を進行するも、此の業務は非常に難航を極め10月、11月の2ヶ月間を要し漸く終了を見る段階に至ったが、11月末輸入商社より流材の届出が本組合に提出され再び業務が混乱するところとなった。それは商社の材は引渡予定者より代行の上届出られていたが、商社は損害保険会社との契約関係で代行者では差支へるためであった。このような事情からこれを受理すると共に12月6日役員会を開き規約の一部を改正して、理事15名を18名とし、新しく三菱商事、丸紅飯田、岩井産業の3社を理事に加えた。
かくして有印材(90,031石)の引渡し全部を完了したが無印材(9,795石)の処理方法については種々な意見があり結論を得ないまゝついに越年するところとなり、翌37年1月末無印材は換金の上その代金を流失者全員に配分することに決定、2月12日同19日、3月20日の計3回に亘り入札競売により全量換金し其の売上金凡そ31,440,000余円を流失者全員に配分す。
ここに於て流材集材並びに関連業務の総べてを完了した。
時に昭和37年3月末、台風発生後約7ヶ月の長期間に亘った。
これに要した整理費用は実に2千数百万円の巨額に達し戦前戦後を通じ本市業界最大の大被害であった。