円位であったが、同年の年末頃に小丸太が特に値上りし1,500円位いになった。その後30年頃から年々上昇し、昭和36年の木材価格緊急安定対策が出た時は4,300円位いとなり、その後漸次上昇し現在(昭和45年)5,600円位いである、…と同氏は昭和25年から45年まで価格について発表を行なった。
(B)外材輸入の推移
山口 平内氏…和歌山に外材の本船が初めて入ったのは昭和31年頃であると思う。その後年々輸入量が増加して木材価格が暴騰した。
昭和36年頃の輸入量は30万立方メートル位いである。最初は北洋材で29年から30年は北洋材が多かったが、昭和34、5年頃から米材が多くなり又南洋材の輸入も多くなった
その後年々輸入量が増加し、41年頃の貯木場が大体できた頃には600,000立方メートルとなり、42年は700,000立方メートル、43年は最も多く730,000立方メートル、その他大阪方面からラワン材などの機帆船で移入されたものをいれるとおそらく800,000立方メートルを突破していると思う。44年度は米材の輸出制限などの関係から減少し、65~6万立方メートルで其のうち80%が米材である。最近の全国的な需給比率を見ると外材が40%の内地材が60%である。和歌山県全体の比率は外材60%の内地材40%と全国比率の逆になっている。和歌山市の比率は外材95%の内地材が5%位の現状である。
(三) 貯木場の設置と木材専用港の建設
堀 良造氏…貯木場の設置について最初の候補地は荒浜であった。あそこを埋め立てたらと言う様な計画があり青写真まで作ったことがある。其