大正 7年 1918 第一次大戦の長期化とともに一般諸物価は益々上昇、中でも米価は暴騰、米騒動発生、世相は混乱す。此の年日本軍シベリアに出兵。
大正 8年 1919 樺太全島に虫害材が発生、大量の北洋材が島外に移出、同年6月北洋材の第一船呉山丸下津港に入港、此の頃より和歌山市の製函業は急速に発展するとともに一般製材も又活況を呈す。同年和歌山市新町一帯に大火発生。此の年第一次世界大戦の休戦条約成立。
大正 9年 1920 和歌山市新雑賀町に中西新七氏市売市場を初めて開設す。
大正10年 1921 北海道に於て北洋材大会を開催、和歌山市より、小野田庄助、中谷長蔵、中西新七の諸氏が出席。此の頃より和歌山市に北洋材の移入が年々増加するとともに貯木場の必要性を痛感、其後県営紀の川貯木場、三井堀、和木堀、紀三井寺貯木場など相次いで建設さる。
大正12年 1923 関東地方に大震災あり、ぼう大な復興需要により、木材価格は暴騰するも、政府の抑制措置により此の値上りは一時的な現象となる。此の年㈱川中組製材所、近安商店東京に出張所を開設す。
大正13年 1924 政府は震災手形の処理や金融引締めの措置を相次いで実施、経済界は下降するとともに、木材価格も暴落の傾向となる。此の年市内嘉家作り町に仲買商全員を株主とする㈱大紀商会を設立す。
一方此の頃より、旅材と称し、四国材を筆頭に県外材の移入が始まるとともに県内では日高、有田、野上谷材等の入荷が漸次盛んとなり、製材工場も遂次増加の傾向となる。