昭和2年 1927
金融恐慌となり、政府は3週間のモラトリマムを発令、当時台湾銀行の他数銀行が休業するとともに、一流銀行にすら取付けに近い騒動が発生、金融業界は一時有史以来の混乱状態となる。若槻内閣其の責を負って辞職す。此の年の1月10ヶ年計画による和歌山港の修復と紀の川改修工事に着手すると共に西河岸町一帯の製材工場は早晩移転の止むなき状態となる。此の紀の川改修工事により、明治38年に建設された吉野貯木場は現在の石井貯木場の場所に移築される。
昭和4年 1929 ニューヨークウオール街に端を発した株式の大暴落により日本の経済は致命的な打撃を受け、一般経済界はもとより木材業は益々不況となり、東京の問屋を中心に一瞬にして60数軒が倒産する。
昭和6年 1931 満州事変勃発、一般経済界は漸く好転するところとなり、木材業界も漸次好況に転ず、この頃北洋材の移入は益々盛んとなり、本市は東京、大阪、清水、名古屋 とならび北洋材の5大市場と称されるに至る。此の年湊本町に和歌山北洋材検量所を設置す。