昭和8年 1933 樺太庁に於て島内産業の発展と山林保護の見地から、北洋材の島外移出に強度の制限を実施したため、和歌山市の北洋材移入は半減の情態となると共に一方吉野材の流下も人漸次減少の傾向となり、吉野材を主とする仲買商は製材業や県外材の入荷に主力を注ぐ。
昭和9年 1934 本県に公営による木材検査制度が実施される。
昭和10年 1935 紀の川改修工事の完成とともに西河岸町一帯の工場は湊中州に集団移転す。紀の川改修工事により、背割堤が設けられ、爾来南港貯木場完成まで同所は主として木材の繁留場所として所轄官庁の許可を得て使用さる。
昭和12年 1937 日支事変勃発、続いて戦時態勢となる。此の頃より北洋材の移入は全く途絶に近い状態となる。
昭和13年 1938 和歌山製材工業組合並び和歌山木材商業組合を設立す。一方同年より木材の県外移出が禁止され、吉野材及び四国、中国、九州材の入荷が途絶、県内材のみに依存するところとなる。
昭和14年 1939 日支事変の長期化につれ、昭和14年9月18日価格統制令(9.18ストップ令)を公布、全物資の価格につき上昇を停止さしむ。此の頃より公用材、軍用材等の供出制度が実施さる。